■先生は青森県八戸市ご出身ということですが、ご家族はやはりお医者様で? はい。祖父は弘前大学医学部医学部長から学長になった人で、父も大学で耳鼻科の講師をしておりました。4才まで弘前で、4才から高校卒業時まで八戸の港町で育ちました。父は、大きな病院の耳鼻科部長を勤めてから、私が小学校1年生の頃、地元で耳鼻科の開業医になりました。土地柄、耳鼻科が欠かせないものでいつも患者さんが溢れていたのを覚えています。
■DNAでしょうか。先生もきっとお勉強がお出来になったのでしょうね。 勉強はですね、できました(笑)。田舎で勉強はあまり奨励されなかったのですが、中学時代は3年間ずっと1番。でも、高校は進学校で皆できる人が勢ぞろい……それでもそれでも5番以内。じゃ、医学部を目指そうかな~と。
■やっぱり(笑)。劣等感をもつことが無かったのでは?……学校の勉強以外はどんな時間を過ごされました? ピアノを習っていました。その当時、ヤマハ音楽教室に通うのが人気で。テニスもやっていました。母が国体の選手だったものですから。中学に入ってテニス部が無かったので、新しく部をつくったんです。テニスに熱中するようになって、ピアノを弾くと手が震えるの。結局、その時はテニスを取りました。
■すごい。何でも優秀にお出来になるんでしょうね。何か苦しかった思い出っておありですか? 実は私、なかなか眠らない子どもだったんです。「早く寝なさい」と言われるのがすごく辛かった。眠たくなるように布団の中でたくさん本を読みましたが、眠らなくてもいられた。大学生になっても続いていて、皆よりたくさん起きていられて色んなことができるから、ちょっと得した気分でしたよ(笑)。
■それ、何かの才能でしょうか?エネルギーが有り余って…という気がしますが。他に習い事は? 日舞とお花を。本当は日舞でなくてバレエが習いたかったんですが、見学に行くつもりの日がたまたま教室がお休みで。それなら…と急遽、母の友人を尋ねましたら「バレエより私が習っている日舞の先生を紹介するから、ぜひおやりなさいな」と勧められ。筋がいいと褒められて、小学2年生から受験直前の高校3年生まで、名取一歩手前でお休みしましたけれど。もうすぐ再開しようかなって。
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