一ノ瀬 メイ(いちのせ メイ) パラリンピック競泳選手。1997年京都府生まれ。障がいは、先天性の右前腕欠損。京都市障がい者スポーツセンターの近所に住んでいたことがきっかけで水泳を始める。2010年アジアパラ競技大会に史上最年少13歳で出場し50m自由形(S9)で銀メダル。リオ2016パラリンピックでは6種目に日本代表として出場。現在200m個人メドレー(SM9)、50m自由形(S9)など5種目の日本記録を持つ。最も得意とする種目は200m個人メドレー。現在、近畿大学職員。 » 一ノ瀬 メイ 公式twitterはこちら» 一ノ瀬 メイ 公式Instagramはこちら Instagramでは普段の楽し気な様子も伺えますね。パラリンピック水泳選手として過ごす毎日のこだわりは何ですか? 競技生活ができる時間は年齢的に限られています。来年のパラリンピックまで時間が限られていますので、その日その日で最大限のことをするということ。その中で一つひとつの選択、例えば何を食べるとか、選択の一つひとつを大事にしています。こういう考え方自体は競技生活をする、もっと上を目指していく中で身についたものです。練習は1日2時間を2回。1日多い時は10キロ、少なくとも4キロ泳ぎます。大学4年間、今春社会人になってからもこんな感じで日々鍛えています。 走るだけでも大変な運動量ですが、泳ぐんですもんね。メイさんが水泳を始めたのはとっても小さな頃で? 1歳半からです。家の近くに京都府障がい者スポーツセンターがあって、そこに両親が連れて行ってくれたのがきっかけです。最初はプールへ遊びに行くだけ、それから親子水泳教室、放課後水泳教室とか、そういう教室にどんどん参加して遊泳法を覚えました。小学4年生の時、9歳でイギリスへ1年留学して、イギリスのスイミングクラブで鍛えました。 水泳がおもしろい!大好き!と思えたのはいつ頃でした? 物心ついた時からプールへ行くのが当たり前だったので生活の一部みたいな感じです。他にも習い事をしていたので、水泳はその中の一つでしたね。5歳から踊るバレエと、9歳でイギリスに引っ越してからそこにタップダンスも加わり、あとは障がい者シンクロ。夏休みはお習字を習っていました。中2で初めて代表選手に選ばれたので、他の習い事は全部辞めて水泳に絞りました。 習い事はメイさんが全部自分から、これやりたい!おもしろそう!と始めたことですか? バレエは保育園の仲の良い子が綺麗に開脚するのを見て憧れて自分も!と同じ教室に通い始めました。シンクロは自然とプールに行ってた仲間とグループを作って始めて、中学はいとこのお姉さんが走高跳をしていて憧れて陸上部へ。なので割と自分の意志で決めていたのかな。やらなくて後悔するより、なんでもやってみるのがいいと思います。 |
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