秋園 圭一(あきぞの けいいち) 裂き織り・手芸作家/手芸教室講師 見れば見るほどすごい技術と熱量を感じる作品ですが、そもそもいつから創作活動をされていたのですか?子どもの頃からのお話しをお聞かせいただけますか。 父がロボットの研究者だったのでその影響が大きく、子どもの頃からロボットに触れる機会が多かったんです。父がよくロボットについて話してくれ、それが面白くて自分もいずれロボットを作るんだ、と自然に思うようになりました。ミニカーなど市販のおもちゃでも遊びましたが、主に遊んでいたのは父が紙や木で作ってくれた自作のおもちゃ。それが普通だと思っていましたし、そういう環境で育ったので自分が欲しいおもちゃは自分で作るもの、という意識が自然に芽生えました。 ずいぶん器用なお父様ですね。幼稚園から小学生になってからは?勉強は得意でしたか? 小学生の頃は工作少年でした。学校から帰ってきたら友達と遊ぶか、家で何か工作するかのどちらかでしたね。下校するときも、「今日帰ったら何を作ろうかな」と考えながら帰っていました。勉強は全然できませんでした。図工は5でしたが、勉強で得意科目はなかったです。工作以外何もなかったですね。なかでも作文が非常に苦手で、文章を作るのが苦手でした。「…だと思います」の羅列しかできませんでした(笑)。喘息があったので体を動かすのも苦手で、体育もダメでした。算数も図形の面積を出すのとか苦手で、小学校の頃は勉強ができませんでした。 天才の一面、という感じでおもしろいですね。小学校は大好きな工作漬けで、中学にあがってからは? 中学生になって勉強しよう!と思い立って塾に通い始めました。すると勉強がわかるし、できるようになったんです。小学生の頃、ほとんどの友達が習い事をしていて自分も何かしたほうがいいのかな?と思っていましたが、とにかく工作がしたかったので塾は中学になってから、と自分の中で決めて、小学生時代は工作に没頭して習い事は一切しませんでした。母がピアノの先生でしたので保育園の頃にピアノを習わせようと何週間か通わせられたのですが、ピアノに興味を持てず泣いて嫌がりました。母は音感を付けるだけでも…と思っていたようですが全然ダメでしたね。僕には作ることしかない。厚紙とセロテープがあれば幸せな少年でした(笑)。 中学生の頃は勉強に目覚めて、部活は何を?そして高校、大学では? 中学生で勉強ができるようになったら面白くなり、中学時代から高校にかけて工作は一時休止して勉強に専念。中学の部活は囲碁将棋同好会でしたが幽霊部員でした。高校では体力が無いながらもバレーボール部に入って、部活も勉強も熱心にやっていました。大学は京大が第一志望、慶應は第二志望。京大には入れなかったため、慶應義塾大学理工学部機械工学科へ進学することになりました。受験勉強で勉強する糸が切れてしまったのもあり、大学では机の上の勉強とは全く違うことをしよう!と思い立ち、ワンゲル部と自転車旅行部へ入部。海外の山へ登ったり、自転車で日本縦断したり、アウトドアな日々を過ごしていました。勉強はそれなりに…やっていたと思います(笑)。 |
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