うちの息子もサッカーを小学1年生からずっと続けてきましたが山あり谷ありで。好きで選んだ道とはいえ、親の負担も結構ありました。幸野さんはサッカーママからの悩み相談も多いそうですね? Instagramで僕のフォロワーになってくれている6000人以上のサッカーママさんたちからは「どうすればいいですか」という悩みが毎日のように送られてきます。本来スポーツは子どもが成長するため、楽しむためにあるものです。スポーツの意味とはラテン語で「あそび」です。スポーツも習い事の括りにされてしまっているのはしょうがないんです。でも厳密にいったらスポーツは習い事と同じ括りではない。日本では学校の中に入れられて教育的要素とされてきてしまったから、一括りになってしまっている。本来は遊びです。子ども本人がやりたいからやるものです。おかあさんがやらせるものではない。スポーツは特に親がやらせたいものより、子どもが好きでやりたいものを選ばせるのが大事です。 確かにそうですね。幸野家のおかあさま(奥様)は、お子さんにどのように関わっていらしたのでしょう?ご著書「パッション」ではおかあさんの姿が見えませんでしたが。 子どもに接するのはバランス。怖い警官と優しい警官じゃありませんが、誰かが怒れば誰かがサポートする。自分の息子に関していうと、妻は息子に厳しかった。常に勉強や生活面では妥協を許さない。そういう意味では僕よりはるかに負けず嫌いだと思う。僕はサッカーのことでは怒ったことがないし、小学生の頃でも試合後にあれがダメだった…とかネガティブなことは一度も言ったことはありません。ポジティブなアドバイスはもちろんあります。サッカーはピッチに出たら自由で、やり方に正解はないので。 野球は監督が絶対で、サッカーは選手主導というのも書かれていましたね。同じスポーツでもそれは大きな違いですね。 そうです。ボールを持っている人が決める。ドリブル、パス、シュート。答えは一つじゃないんです。常に選手の判断を尊重する。子どもたちが気づけるようなアドバイスはしています。僕は基本的に、子どもを子ども扱いしたことがない。イギリスでは子ども扱いという言葉すらない。ひとりの人格をもった人間として論理的に説得をすること。子どもだから親の言うことを聞けばいいというのもなかった。怒鳴ったり体罰したりで高圧的に支配をするのではなく、論理的に頭で納得させることが大事だと思います。僕の時代は体罰の時代。でも僕はそういうのが許せなくて闘ってきました。それでヨーロッパに渡ったので、僕が考えていたことは正解だったと思いましたね。 その自己肯定感も素晴らしいですが、17歳でイギリスへ単身留学をされたというのはご家族の後押しもあってのことで? 父がサッカー選手でしたので、小さな頃から連れられて海外へ。そういう環境でサッカーは世界中でナンバーワンスポーツだと認識していました。サッカーに携わっていれば世界に一番近い存在になれると思っていた。物心ついた時からヨーロッパに渡ってサッカー選手になるという夢を持ち続けていました。サッカーを始めて7年間くらいずっと夢をあたためて、英語の勉強も欠かしませんでした。ネイティブと同等に話せるくらいになって渡英しましたが、もし話せなかったらきつかったですね。40年前のイギリスで待ち受けていたのは人種差別で、英語ができたから反論もできたし、説明もできました。しばらくして仲間と認めてくれてからは受け入れてくれましたが、今でも心の奥底では差別というのはあります。日本人だって、現実的には他のアジア人を下に見る人もいますよね。でも、そうした経験は人権問題を考える礎になりました。差別の根源は無知。慣れればそういう意識はなくなります。だからこそサッカーを通じての国際交流は大切なのです。 |
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