胎外受精の他にも里親など子どもを育てる選択肢はいくつかあると思いますが、その道を選択された理由は? まずパートナーの彼女と相談する中で、最初の選択はふたつありました。彼女が産むか、どなたかに産んでいただいた子どもを何かしらの形で引き取って育てるかです。産めるのであれば自分で産みたいと彼女が言うので、となると次なる選択肢は精子提供者をどうするかでした。いわゆる精子バンクのようなところで知らない方のものをいただくか、あるいは身内の知っている方からご提供いただくか。すると彼女が全く知らない人よりも知っている人のほうがいい、ということになりました。ただどれだけ仲が良くてもストレートの人には、僕も嫉妬があるので嫌だったんです。ゲイの人ならそういう嫉妬はないので、必然的に条件が絞られてきて、一番信頼関係が深かったゴンちゃん(松中権さん)に相談することになりました。仲はよかったけど、こんな風にファミリーにまでなるとは思っていませんでね。子づくりや子育てに関して、3人親で進めていく日々にはきれいごとばかりではなく、日々いろんなことがあります。でも、子どもが産まれればどんなご家庭でもいろいろありますよね。LGBTQだからとか、3人だから特別大変ということはないのではないでしょうか。この辺の細かい経緯は新刊「元女子高生、パパになる」に詳しく書いてあるので、ご興味がある方は是非お読みください。笑 難しいハードルを一つひとつ乗り越えていてすごいなぁ~。文野さん「僕は」と主語を使われていますが、10代の頃、自分自身をどのように語っていらしたのですか? 「自分は」と言ってました。体育会に所属していたこともあって、なるべく一人称を使わないようにしていました。その頃は、大人になったらどうなる…という想像は全然できず、大人になれないと思っていました。子どもの頃はカッコイイ身近な大人に憧れるものですが、ロールモデルの不在、お手本になるような大人が見えなかったというのが大きな原因だったと思います。女性として歳を重ねていく未来は想像できなかったし、男性として生きていくという選択肢があるのも知らなかったので漠然と30歳の誕生日くらいには死ぬんだろうなと。それ以降生きる自分のイメージが一度も持てなかったんです。 なんか、泣けてしまうお話です。希望が抱けなかった時間が長かったと思いますが、何かきっかけがあってそれが前向きに変われたのでしょうか? 劇的に何か出来事があったわけでなく日々の積み重ねです。両親には最初、頭がおかしいから病院へ行けと言われたこともありました。それでも少しずつカミングアウトできるようになって、身近な友達に伝えて受け入れられるようになっていって。その後両親も文野は文野だから…と理解を示してくれるようになりましたが、それでも社会的マイノリティとしてこの先幸せになれるのか?と親はずっと心配していて…本当の意味で理解してもらえるようになったのは30歳過ぎてからですかね。お恥ずかしながら僕が経済的にもちゃんと自立できたころでした。こうやって時間をかけながら周囲に受け入れられるようになり、それによって自分自身も自己肯定感を取り戻していった感じです。 経済的な自立をすると親への感謝も生まれますよね。ご自身のお子さんを含め次世代の子どもたちへの思い、聞かせてください。 僕は我が子にこうなってほしい!というのは全然ないんです。でも、こうなりたいという願望を妨げる障害物は、大人の責任として取り除いておいてあげたいと思ってます。例えば、女の子だからという理由で何かできなかったり、日本人だから、トランスジェンダーの子だからという理由で差別を受けるようなことがないようにしたい。基本的には本人がやりたいものを見つけて全力で取り組んでもらえたらハッピーです。我が子に限らず、次世代の子どもたちすべてがそうなれるような社会を準備したいと思っています。 最後に、子どもの習い事についてはどんなお考えをお持ちですか? 習い事については3つあります。一つはどんな人生であっても健康第一ですよね。なので水泳や体操など早い段階から健康な体作りができる習い事はさせたいなと。うちは先日初めて親子スイミングを始めました。この先も本人が興味をもつスポーツはさせたいと思ってます。二つ目は、自分と同じ苦労をさせたくないという思いで、英語です。どれだけ翻訳ツールが発達したとしても目の前の人と対話するにおいて言語は大事なコミュニケーションツールです。普段からYouTubeチャンネルで子ども用の英語動画などを流して自然に英語に馴れる環境にしています。既に英語の歌を歌ったりして羨ましいほどですね。三つ目は、ダンス。これも自分ができなかったからなんですが、バックパッカーで世界を旅していた時に、言葉がわからなくても踊ったり楽器を弾くことで現地の方とコミュニケーションをとっている人がいて「いいなぁ」と羨ましく見ていました。非言語のコミュニケーションツールがあるって強いなと。コロナもあり、この先更にどんな世の中になるか、誰にも予測がつきません。だからこそ、どんな時代になったとしても世界で生き抜ける「人間力」やサバイバル能力を身につけてほしいです。あとはうるさい事は言わずに、本人の好きなことを全力で応援してあげたいと思ってます。 ---ありがとうございました! 2020年10月取材・文/マザール あべみちこ 杉山 文野 書籍紹介
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