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■実はうちの小4の息子も学校で書いてくる作文は「おもしろかった」「楽しかった」って、どんな感動があってもそんなまとめ方で、何で?と思いますが、
先生のところでは生徒はそう書かないのですか?
そうですね。自分が自分であるということに、子どもたちが怖くなってしまっている。
個性が大事とか、その子らしくなんて言っていながら、日本の教育ではまったくオリジナリティを育てるようなことをしてこなかったんですね。「こう書けば、丸がもらえる」という方法論だけで、プロセスを考えさせることでその子なりの考え方が身に付くものなんです。
僕の教室では、○×で優劣をつけるようなことはしない。まったく次元の違うところで、考えることを身につけるのです。それが、その子にとっての発見になります。
■例えばどんなテーマを投げかけて、指導をされていらっしゃるのですか。
こんな授業をしています、というサンプルは実はないの。全部、臨機応変。
昨日は、「かごめかごめ」って歌があるでしょう?その歌を読解して、お話を作ってみなさいというテーマでした。江戸からあった歌だそうで、後半の「鶴と亀が滑った」…
というのは明治以降に加えられたようです。「後ろの正面だあれ」は階段の上から姑に突き落とされた妊婦という説もありますし、怖いですよね。
子どもたちは色々な角度から書きます。ストーリーつくる子もいれば、「情念」についての評論とか、それこそテーマと何が関係あるのかな?という内容もあります。
でも、それでもいいんです。
■人それぞれの違いがあって、受けとめ方が色々あるということがわかるわけですね。授業は何分くらいで?
大体90分~2時間くらい。早く書く子もいます。求められるのは、テーマに対する問題意識、思考力、感性です。僕は教室に座った瞬間のその子を見れば、どれだけその子が書けるかわかります。
○×で正解を求める安易な「ファッション学習」に馴れてしまっている子は、ここに来ると腰が浮いて書けないんですよ。人間のもっている基本的な能力があらわになる。
■確かに。それは偏差値教育できてしまった親の世代から受け継いでいるのかもしれませんね。
このカップを見て「これ何だと思う?」と聞きますよね。すると○×教育で育っている子は「カップ!カップ!」と必死になって答えるでしょう。
でも、この教室に来ている子は「それ存在だよね」とか「実体」「現象だよ」「スタート」「言葉だと思う」なんて2時間ずっと色々な表現ができる。つまり、この教室でやっているのは「考える方法を見つけること」です。それは動詞の数だけあります。
色だって無限にあるでしょう?言葉もそうです。
■今、子どもが本を読まなくなったと言われますが、先生はどのように思われますか。
本だけでなく、何でも読まないとダメですよ。僕は葛飾北斎のことを日本のピカソだと思っていますが、彼の絵を見ても「きれいだ」「美しい」「波がぐーの形みたい」といった感想しか言われないのは読解力不足です。自由に見ていいと言われても、どう読解すればいいか。その方法論を知らないと、見方、捉え方がわからないわけです。
作家を読み、描こうとした世界を読み、時代を読むこと。だから、本なんて当たり前、新聞も広告も絵も空気も人も読解対象です。それが表現を規定する。だから、本を読んで「感動したわね」と言っているのは、『ごっこ』に過ぎないです。
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