グローバーさんは東大中退後、復学なさってご卒業されています。これはどんな経緯があったのでしょうか? 幼児塾の竹刀おばさんに始まり、勉強は順調でバンドをやりながらも成績はよくて、東大文学部に合格。親への義理は果たした気持ちになってしまったんです。これからは好きなことをやろうとタガが外れて大学入ってから、半分家出のような形で実家に帰らず、そのまま自分で家を勝手に借りて暮らし始めました。バンドを始めて応援してもらい、お客さんも入って、CD作ってちょっと売れたり。思わぬ華やかな方向へ自分の活動が進みました。子どもの頃からラジオ大好きで、ラジオで話す夢も叶ったり。絵を観るのは好きだけど、美術のお勉強はもういいかな。音楽とラジオが今やりたいし……となって、学校へは行かなくなりました。それで順調に留年。それもリミットがあり8年生まで。東大は教養課程4年、専門課程4年。教養課程はなんとか3年で行けましたが、専門課程が4年目になった時、教授から「このままいくと除籍になる。今は勉学の意欲がないのであろう」と。その連絡が母にもされ、泡食った母は僕の所にきて涙ながらに「学校だけは卒業しなさい」と。当時の僕は音楽だけやりたい!という気持ちしかなく。その時の記憶はあまりないんですが、母曰く「オレの音楽は遊びではない!」と僕が言ったそうです。母としては、好きな音楽をやるのも良いけれど、今は学生だから学業ちゃんと終えて卒業してからやりなさいと。で、教授のところに行って「学校辞めます」と伝えたら、「音楽とかラジオDJとか、キミが一生懸命にやっているのはわかった。でもほったらかしにしていると除籍にしかならないから、自主中退をして勉学の意欲が戻ったらまた復学しなさい」と助言してくれました。運が良かった。めちゃくちゃなことをしても、いつも誰かが引き上げてくれる。ずっとそんな人生です。 自分が選択した道を真剣に歩もうとする若者に、教授も手を差し伸べてくださったのですね。音楽の道に進まれて、復学のきっかけは何でしたか? 大学を辞める時は、復学できることをありがたいなんて思わずにいました。音楽で行くぞと思っていましたから。でも段々時間が経ち、年齢を重ねアップダウンもあり、バンドのメンバーも入れ替わって、世の中がモノクロに見える時がありました。街で見かけてくれた友達も、グローバーの空気が暗すぎて声掛けられなかった…と後で言われて。そういう時に出会ったのが妻でした。真っ暗な中に蝋燭(ろうそく)を一本灯してもらったような。真っ暗な中から少しずつ周りの人の顔や状況が見えるようになってきました。結婚をすることになって、結婚式のVTRを作るため、実家のアルバムをみにいった時のこと。高校生くらいまではあっても、だんだん写真がなくなり、その中で家出後の写真を見つけました。何も持たずに家を出たので、玄関に揃えて置いた靴とか、空っぽになった部屋の学習机とか。そういう主なきモノの写真が数枚あって、なんだか切なくなってしまった。こんな気持ちにさせて、親不孝したなと感じました。結婚するとき妻のご両親に挨拶しに行った時も「どうして東大中退を?」と聞かれました。音楽で頑張って活動して稼ぎますと言いつつ、大学に復学して卒業することとに賛同をもらって、かつての教授に会いにいきました。 なんだかドラマが詰まっていますね。復学から卒業までうまくいきましたか? 「勉学の意欲が戻りました」とネクタイ締めて汗かきながら行ったら、「グローバー、それ嘘だろ。おまえ勉学の意欲なんて戻っていないだろう」と言われて(笑)。「はあ、実はそうなんです。気持ちの変化がありまして、これこれしかじか・・」と正直に話すと、「わかった。もう勉学の意欲が戻ったなんて言わなくていいから、今話したおまえの気持ちを文書にしてみなさい」と。4年以内なら復学は自動的にできても、8年も経っていたので教授会にかけて決議が必要になるらしくて。正直な気持ちを書いた作文を教授に提出して、教授が掛け合ってくれて「満場一致ではないけれど俺が責任を持つという話で大丈夫になったから、また大学で勉強がんばれよ」と。復学して専門課程の2年間、大学3年生からやり直しました。一回り下の同級生は、レポートを書くスピードも僕の10倍速くて、脳みそが全然違った。卒論もギリギリまで掛かって年下の同級生に伴走してもらい、なんとか仕上げました。卒業したのは32、3歳で、上の子が赤ちゃんでした。 仕事をしながら子育てもありつつで濃厚な専門課程でしたね。今年も新年度が始まり、グローバーさんがこれから始めようとされていることを教えてください。 今はコロナ禍で美術館もなかなか思うように行けないから、子どもたちが綺麗な絵を観られるように自分でYouTubeチャンネルを作っています。絵は、見ているだけで元気になれます。一枚の絵をずっと3分くらい見せてくれるようなYouTubeはないので、これから立ち上げようと。文化や芸術って、いい力があります。あらゆる時代の人に力を与えてきたものはやはりすごいです。 人が集まるところに気軽に出かけられるようになるのは、しばらく難しい。まだ時間が掛かりそうです。前と同じようにではなく、この先は新しい時代。生態系は人間がコントロールできるような次元の話ではないから、今僕らが生きている世の中で何か楽しいものを創っていきたい。そういう僕らの姿を見て子どもは育つから、この先ちょっとずつでも、昨日より今日の方がちょっと良くなるように過ごしたいものです。 ---ありがとうございました! 2021年3月リモートによる取材・文/マザール あべみちこ グローバー 活動情報
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