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料理家 きじまりゅうたさん料理一家で育った(20代の頃)
サラリーマンを経て料理家の道へ。料理一家で育った(20代の頃)

立ち回るのが上手な大人っぽい子は、小学校時代どんなことが得意でしたか?

小学校から近所の私立立教小に通いました。両親とも教育熱心というわけではなく、こましゃくれた子どもだったので公立に行ったら浮くだろう…と近所に立教があったので受験。幼稚園の頃はお受験塾にも通いました。幼稚園の先生に「母は何時にお迎えにきますか?」と聞いて「もうすぐ迎えにくるからね」と諭されたのに「何時にか?と聞いているんです」と時間をしつこく聞いたらしくて(笑)。連絡帳には『時間を教えるのはまだ早いと思います』と書かれていました。時間とか文字を読むのが早かった。本を読むのが好きで、国語が得意で、口もうまかった(笑)。

大人にとっては手ごわい子でしたね!その頃、何か習い事をされていましたか?大きくなったら何になりたいというイメージはありましたか?

お受験塾の後、小学生時代は小2から小4まで地元の野球チームに入りました。でも、体格が・・・あまり走れなくて辞めた。公文にも行きましたが、簡単な問題から始めるのが苦痛ですぐ行かなくなりました(笑)。それ以外は何もしていないです。基本的に家に帰ってきて大人の輪のなかで過ごすことが多かったですね。ただ、なんとなく大人になってからスーツは着たくないと思っていました。サラリーマンではない仕事をしたかったのは、出入りする大人も割と自由業的なクリエーティブな人が多かったせいかもしれません。

小学校から大学まで立教で過ごされて卒業後は会社員を経験されたのですよね。やっぱり料理家へ、と転じたきっかけは?

高校時代はアメフト部でしたが大学では体育会には所属しませんでした。大学2年生頃から先輩に誘われてアパレルブランドの事業を展開するようになった。大学では観光学部でしたが、学部化されたばかりの頃で教授も足りず混沌としていて。1年生の時に単位をたくさん修得したこともあり、学校へは全然行かずアパレルの仕事ばかりやって(笑)バイトでしたが。最初は無給でも軌道に乗ってからの収入はかなりありました。それで皆が大学3年になる頃、就活をしているのを後目にそのままアパレル業界へ就職。

景気の浮き沈みもありましたが社会人2年目で、祖母が亡くなりました。葬式の席で、祖母が僕に料理家になってほしいと願っていたと周囲の人から聞きました。そこで、料理家という道を真剣に考えたんです。ただ、アパレルの仕事をすぐ辞めたわけでなく、働きながら池袋にある夜間の調理学校に通い始めて、料理の基本を勉強しました。その頃僕は24歳、周りは18歳。当時の6歳の差は大きかったですが仲良くなりました。

ご家族に料理の先生がいらしても調理専門学校へ行かれたのは、どんなモチベーションからでした?

座学よりも、調理に関わる実技+理論ということを学びたかったんです。その後、母親の杵島直美のアシスタントもしながら料理家になるべく基礎を身に着けて、同時に雑誌の仕事で20品考えてきてくださいというお題をもらうと、30品以上考えて提案する…というのを繰り返して千本ノック的な鍛え方をしました。それが土台になってレシピのアイデアをうめるようになった。1から創作する料理というか、アイデアや味付けがプラスαあるレシピです。

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次回は、歌人の俵万智さんが登場。デビュー作である歌集『サラダ記念日』は280万部のベストセラー。代表的な短歌【『この味がいいね』と 君が言ったから七月六日はサラダ記念日】では何気ない日常を短歌にし、身近な視点から感情の機微を伝えた。デビュー作から33年経ち、昨年出版した歌集「未来のサイズ」で歌壇の最高峰とされる迢空賞を受賞。世相も織り込む三十一文字で表す豊かな世界、子育てで感じた思いなどお聞きしました。どうぞお楽しみに!

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