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政治学者 中島岳志さん新刊「いのちの政治学」リーダーは「コトバ」をもっている
死者を弔うことが民主主義の根幹を担う「いのちの政治学」リーダーは「コトバ」をもっている

なるほど。法事やお墓参りも先祖に想いを馳せて感謝する気持ちから行動しますね。弔いを真剣に考えて、先生は政治学者としてこの国をどのように捉えていらっしゃいますか?

別の角度からずっと考えてきたのは、僕たちの民主主義なんです。近年では立憲主義という考え方が注目されています。2015年の安保法制の時に自民党が憲法を全然守らないので、憲法によって権力は縛られているという立憲主義が強調されました。

政治学的に、憲法学的にいうと、民主主義と立憲主義はぶつかります。そう簡単にうまくいかない。民主主義というのは生きてるものの多数決によって何でも決まってしまう。今回の選挙でも多数を取った自民党が大きな力を持ち、いろんな政策を推し進めます。しかし、いくら民主主義でも、たとえば過半数が『言論の自由なんてある程度抑圧してもいい』と言ったとしても、『憲法で禁じられているのでそれはダメです』となります。つまり民主主義は過半数によって物事を決定できるシステムとなっているけれども、それを憲法が阻んでいる。いくら過半数がイエスといっても、憲法はノーだと。なので、民主主義と立憲主義はぶつかるところがある。

これをどうやって解決するかは難問です。過半数を得ているのになんで制約されなくてはいけないんだというのが橋下元大阪市長や、安倍元首相の姿勢です。結局、民主主義と立憲主義という二つは主語が対立している。つまり民主主義は生きている人たちによって構成されており、生きている人しか投票できない生者の過半数のこと。ところが憲法の主語は死者なんです。亡くなった人たちが自分たちの経験に則して、例えば言論弾圧の時代に、こういうことをしたら人々の自由なんてむちゃくちゃになりますよ、と伝えている。あるいは三権分立がなかったら政治家に一元化されて甘い物になってしまう。立法、行政、司法と分けないといけませんとしてるのは、歴史をかけて様々な失敗を英知によって積み重ねてきた。死者の経験値が現在や未来を拘束しているのです。

死者から託された歴史と英知があるから憲法改正とか簡単に言ってはいけないのですね。

日本国憲法97条には「基本的人権」について、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と書かれています。死者たちがこういうことをやったらマズいよ、こんなに失敗してきたんだから…と未来に付託し、その権利を信託しているのが憲法です。死者を蔑ろにして、今生きている者だけで何でも決めるのはマズい。死者も民主主義の制度に招かないといけない。憲法が蔑ろにされているというのは、死者が蔑ろにされているのと同じです。今の人間だけで何でもできると思いあがっている。

しかるに政治学者として最も重要視すべきは、お葬式とか三回忌とかそういう仏事をちゃんとやってきたこと。死者たちとのつながりが希薄化したことで民主主義の危機につながっているのではないかと、僕は考えています。

宗教学上の死者と接点を考えてこなかったのですが、政治と死者は非常につながっている。死者によって民主主義、利他、世界観。そこから巻き返してSDGsや環境問題。いろんな構造の根底に死者弔いは関わっていると思う。政治学者としては変わったことを言ってますよね。

すごくおもしろい。確かにそうですよね。SDGsは服をどうする?みたいな外面的な話にすり替えられている気がして。確かに服もあるけど、それを語るなら日本の環境という歴史も知るべきだと思う。先日観た映画「minamata」もまさにそうした歴史を紐解くことでSDGsにつながるというメッセージを受け取って、先生がおっしゃられている利他とつながった気がします。

おっしゃる通りで「利他プロジェクト」と連動して動いているのが「弔いプロジェクト」と「水俣プロジェクト」です。利他の世界観を回していくためには、過去に遡行しないといけない。学生を巻き込んで授業の一部にしていますが、水俣から毎週zoomで中継をして当事者の方からお話を聞いています。特に東工大は科学の最先端を担う人を育成する機関なので、水俣問題を理解すべきです。特許を取って名を成してやろうという科学者が、いかに世界を破綻させてしまうか。その声にどうやって耳を傾けるのか。科学を捉え直してほしくて学内ではそうしたプロジェクトも続けています。

そうなんですね!声を聞くことは研究する上でとても大切な姿勢ですね。

僕は水俣で育った石牟礼道子さんを尊敬しています。水俣病が起きて1969年に『苦海浄土』を出版されました。そのプロセスで彼女も過去に遡行しています。足尾鉱毒事件をすごくよく調べて、足尾鉱毒事件で亡くなった人たちの声を聞くのが彼女の水俣病への向かい方でした。

3.11東日本大震災が遭った時に、僕は水俣を振り返ることが大切だと思いました。これからの福島を考えるためには50年前に起きた水俣のことを考えなくてはいけない。水俣の公害と、福島の原発の問題はパラレルです。近代の物質文明を支える工場や原発が、地方の人たちの命をないがしろにし、大きな被害を与えた。それをどう考えたらいいかといった時に、水俣に遡行した。石牟礼さんは水俣を考えるときに足尾鉱毒事件に遡行した。結局、死者の声に向き合うことで未来に向かうことにつながったのです。

フランスの詩人ポール・ヴァレリーの言葉に「湖に浮かんでいるボートを見よ」というのがあります。あのボートは後ろ向きに前に進む。進む方向と逆を向いてオールを漕ぎますが、後ろを真っすぐ見ることで正確に前に進める。つまり過去を凝視しないと未来に進めませんよ、ということです。僕らは未来予測といって、未来ばかり見ようとしていますが、死者たちの声を聞くことが未来へまっすぐ進めることなのだという逆説構造があります。水俣の問題は最前線です。

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