小林 十市(こばやし じゅういち)さん
1969年3月11日生れ。東京都豊島区出身。俳優、バレエダンサー。 十市さんは落語一門の御曹司で、弟の花禄さんは落語家になられました。 十市さんはなぜバレエの道へ進まれたのでしょうか。 母に半分強制的にバレエ教室へ入れられたのが始まりでしたが、子どもの頃はアウトドア派で木登りをはじめ、外遊びが中心で全然家にいませんでした。そんなあり余る体力を消耗させようという目論見で、バレエ好きの母に習わされ、それがうまくはまった。最初はちょっと照れ臭かったですよ。今でこそ男子もバレエ教室に通う子が多いですが、僕の時代はほとんど男子がいない状態で女の子の中に僕一人でしたから。でも先生が目をかけてくださって、習い始めて上達してコンクールで賞をいただいたりして。これだけやればこういう成果がついてくるというのが実感でき、楽しくなりました。 お家柄、やはり芸事には厳しかったのでは? 習い始めてからは、泣き言は一切許されませんでした。弟の花禄も9歳から高座に出させてもらい修業が始まりました。兄弟とも進む道は違ってもそれは同じでした。周りの皆が高校進学のために勉強している時、僕らは中卒で芸事の道を選ぶことを決めていましたから、同世代の皆とは違う意味で厳しさはありましたね。 十市さんの場合、中学卒業してすぐにNYへ留学されました。 いえ全然(笑)、うるさい母から離れられることがうれしかったです。 言葉も文化も違う環境でバレエを続けてこられて、日本で暮らすご家族の後ろ盾は大きかったですか。 言葉はNY大学の夜間部の英会話スクールに半年間、週2回通いました。
英語で英語を学ぶので最初はとまどいもありましたが、半年終わる頃にはもう友達
もできていて、あとは実践の場で英語を学びましたね。なんとなく勘はいいほうで、
こういう状況ではこう言えばいいんだなと一つひとつ獲得して、とにかく彼らのライフ
スタイルまで真似ていました。 お母様をはじめご家族の存在も大きかったわけですが、バレエ教室の先生はどんなご指導をされたのでしょう? バレエの先生は目標を作ってくれたことに感謝しています。「今度イギリスでコンクールがあるから、それに向けて頑張りましょう」というふうに、その都度目標をもって、それをクリアしていくことを教えてくれました。その延長線で「じゃあ留学します」という流れでした。もともと母が「やるなら本場で」と考えてのことでした。 |
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