監督は小学3年生の息子さんがいらっしゃいますが、ご自身はその頃、将来どんな仕事に就きたいと思われていました? その頃はパイロットかな。宇宙飛行士にも憧れたことがありました。僕は小学校時代から目が悪かったので、いろいろ調べてみるとそれだけでダメ。なれない職業があるということを初めて思い知った。パイロットの次が映画監督でした。 小さな頃から映画監督になりたいと。紆余曲折あって、郵便局の配達員とかいろいろな仕事を経てこられたんですよね。あきらめないで42歳で初めて映画を作られて。本当にあきらめないってすごいことです。 いや、毎回あきらめているんです。ずっとあきらめきれなかったというのではなくて。 その根拠のない自信が大事な力になっているのかも。習い事は小3時代に柔道をされた以外には何か? うちはね実家が文京区・本郷のそろばん塾でした。小学校よりも生徒数が多かった。 そろばんの世界と、創作の世界は、またちょっと違う気がしますが親御さんは自由に好きな道を進みなさいと?今、父親の立場となられて、お子さんには習い事をさせていらっしゃるんですか? いえ全然、その逆ですね。映画連れていってくれたのは父なんですけれど。小説なんて道楽だという考えでしたから。僕が本を読んでいると「本なんか読んでいないで勉強しろ」と言われました。創作のほうに心が行ってましたから、勉強なんていっても手に付かないわけです。 42歳で映画監督としてデビューされるまで、いろいろな経験を積んでこられて、じっくりとゆっくりと歩まれてこられた監督から、最後に親世代へのメッセージを何かいただけますか。 習字も、そろばんも、やっているその時は辛かったりしますが、やってよかったなと思います。習字は人に伝える字を書くという心が基本。どんなに崩した行書で書いても伝わらないと意味が無い。モノづくりは細い線を辿っていくような作業です。文学的な視点でいうと、習字も絵も皆同じ。作品を見る人と、どの辺で共有できるかなんです。映画の質も、そこで変わってくるのだと思います。誰もがわかるように書くことは、そう
いう訓練をしている人にとって、そう難しいことではない。それを自分のオリジナリティを含めて、どのくらい崩していけるかなんでしょう。 ---ありがとうございました! <了>
活動インフォメーション
映画「春との旅」 5月22日(土) より
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『映画監督小林政広の日記』
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