偶然にしてもすごくラッキーな始まりでしたね。それから本格的に演奏活動をされるように? 初めての演奏で目の前の1000人くらいのお客さんが総立ちになって拍手喝さいをしてくれた。まさか、こんなに感動してくれるものなのか? ! と。 アメリカの3年間を皮きりに30歳までの12年間は世界各国でツアーをされてきました。実地で音楽活動へ入られたわけですね。日本に帰りたいと思いませんでした? 僕らが世界を回っている間、日本はバブル景気だったようですが、まったくその時代いなくて知らなかった。帰国したくても資金がなくて帰れないことがありましたが、バブルの終わり頃、ようやく日本での公演も決まり、何年ぶりかで日本へ帰ってこられた時は泣きました。飛行機の中でNHKのニュースを見て懐かしくて。日本へ戻ってまたヨーロッパ行って、アメリカへ渡ってとずっとツアー続きで家がない状態。小さなトランクひとつ持ってホテルで生活していました。20代はずっとツアー人生で、30歳の節目を迎えてはたと「これじゃ、いかんのでは?」と思い始めて。この後もツアー人生だとしたら、あと10年は同じかもしれない。卒業するなら今だと。二人で独立してAUNを結成しました。 そのユニット名、AUN(アウン)は『阿吽の呼吸』から付けたもので? 双子ならではの阿吽の呼吸、ツーカーというか。日本語もアから始まってンで終わるし、それと1本の三味線を2人で弾く曲で『阿吽三味線』というのがあって、それがユニット名の所以となります。二人で始めて鬼太鼓座(おんでこざ)のステージの時よりも、自分たちの看板でやったという、やり遂げ感があった。それから、いろいろな偶然も重なって運よく和太鼓が入手できたり、一旦は和太鼓を卒業したはずが、もう一度やってみるか!ということになったんです。 なぜ和楽器なんでしょう? 和楽器でどんな音楽を奏でたいとお考えでしたか? まったく先入観がなかったから初めて観た時に、かっこいい!と思えたんですね。 |
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