お二人が子どもの頃ぼんやり思い描いていた将来の夢はありましたか? 漫画が大好きで漫画家になりたいと思っていました。今でも漫画は大好きなんです。その頃はドラゴンボール、聖闘士星矢(セイントセイヤ)などよく読んでいて、薄い紙や透明の下敷きにマジックでなぞって漫画を模写。物語も書いていましたけれど下手くそで(笑)どこにも当時の作品は残っていません。 小学校低学年からずっと水泳を続けていて大学も水泳推薦で進学しました。オリンピック選手になることを目標にしてきたのですが、怪我をして辞めざるを得なくなって断念しました。 小学校時代はどんな習い事をしてきました? バスケと合気道です。兄や姉がやっていたので一緒に通うようになりました。 水泳とピアノです。どちらも長く続けていましたが、僕は譜面読むの時間が掛かるんです。ギターのコードのほうがわかる。今作る曲も全部ギターです。 そんなお二人の子ども時代、ご家族のなかではどんな立場でしたか? 言っても聞かない…とよく言われてましたね。母には『どうせあなたに何て言っても自分のやりたいことやるんでしょ』と。3人きょうだいの末っ子でしたから一番かわいがってもらったと思います。 僕は親や兄弟と一緒に過ごす時間が少なくて、小さな頃から一人で過ごすことが多かった。親の仕事が多忙だったこともありますし、一人で留学して寮に入っていたこともあって。小学校時代から『自分のことは自分でやる』が基本で、料理も作りましたし、目覚まし時計をセットして自分で起きる生活でした。誰かに束縛されたことがないので、自由でないと窮屈な感じがしてしまう。 それぞれバックグラウンドが違いますが、お互い出会ってすぐ何か感じるものがあって「一緒に音楽やろう!」となったのですか? そういうわけでもなく『音楽以外でも何か一緒にできるといいね』と言っていたんです。僕らはそれぞれの流れで音楽はやっていましたが、僕はプロミュージシャンを目指してバンド活動をしていたので、夢をあきらめるか、続けるか選択の時期でした。 逗子で海の家をやろうと声を掛けたのは僕のほうからでした。海で音楽の仕事をしたい…ただ純粋にそれを実現したかったんですね。やりたいように生きてきた延長に海の家があった。始めてもう8年経ちますが、思っていたほど簡単な仕事ではありませんね。 ⇒ [3]を読む |
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