キマグレン さん 逗子育ちの幼なじみであるISEKI(Vo.&G.)とKUREI(Vo.)の2人組。2005年、逗子海岸で海の家ライブハウス(現「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」)を立ち上げる中で結成。LOVE+LIFE+LOCALという3つの「L」をテーマに、多彩な音楽性をミックスしながらJ-POPを目指す。2008年、ユニバーサルシグマよりメジャー・デビュー。2ndシングル「LIFE」がCMに起用され、大ヒットに。2008年の紅白歌合戦に初出場し、神奈川観光親善大使も務めた。2012年6月6日に10thシングル『バトン』を、7月11日にベスト・アルバム『ON THE BEACH~きまぐれBEST~』をリリース。10月14日初の日本武道館公演が決定!≫ キマグレン・オフィシャルサイトはこちら ISEKI (Vo.&G.) 逗子で生まれてすぐシンガポールに引越すも、幼稚園からはずっと逗子で生活。1996年に地元のスイミングスクールにてKUREIと出会う。1998年度のHOTWAVE(横浜スタジアム)コンクールにて、最優秀ボーカル賞受賞。大学時代より本格的にバンド活動をスタートし、いくつかのバンドで活動。2005年にKUREIに声をかけられて、逗子海岸に海の家ライブハウス(現「音霊OTODAMA SEA STUDIO」)を発足。同年キマグレン結成。 KUREI (Vo.) 新潟で生まれてすぐ逗子に引越す。幼少時をカナダ、ヨーロッパで過ごし、中学時代はタスマニアに留学。1996年に地元のスイミングスクールにてISEKIと出会う。高校時代にバンド活動スタート。大学時代はニューヨークとハワイで生活し、日本に帰国後会社員として過ごす。2005年にISEKIに声をかけ、逗子海岸に海の家ライブハウス(現「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」)を発足。同年キマグレン結成。 お聞きするところによれば、お二人は地元のスイミングスクールで知り合ったとか。まず、それぞれのご家族や幼少期についてお話し伺えますか? 当時はカラオケが流行っていて、よく家族で歌いに行きました。運動も好きでミニバスケをする活発な子どもでした。僕は3人きょうだいの末っ子。5歳上に姉と3歳上に兄がいます。家族みんなが好きなことを自由にやっていて、姉は結婚・出産するまでプロサーファーとして活躍していましたし、兄は建築家です。 僕は5歳から21歳まで親の仕事の関係で基本的には海外で育ちました。日本に滞在している時はインターナショナルスクールへ通っていましたから日本語より英語のほうが得意ですし、感覚的にアメリカ人に近いかもしれません。親の方針で日本語の塾に通ったり、論文を書いたりしてきたので日本語は忘れませんでした。 スイミングスクールでの出会いが高校時代ということは、それぞれかなり泳ぎが得意だったのでしょうか? 僕は2年くらい通っていました。 僕は小学校時代から水泳は続けていました。実はオリンピックを目指していた強化選手でした。怪我をして途中で転向したのですけれど。 そうだったんですね。お二人がコンビを組もうという話しになったのはいつ頃ですか? 海の家・音霊OTODAMA SEA STUDIOを始めてからです。結成したのが2005年で、デビューは2008年でした。最初はお客さんがなかなか入らなくて、自分たちの友達を呼んできてゆる~く気まぐれにやっていたところ、今のプロデューサーに出会って『もうちょっと真面目に曲作りしたら?』と言われてやっているうちに、徐々に物事が進んでいてレコード会社が決まってデビューすることになりました。 もともと、それぞれでバンドを組んでやっていたんです。僕もクレイも作詞作曲をして歌っていました。 お二人が進む道を決めたきっかけ、あるいは音楽に影響を与えてくれたのはどんな人ですか? 僕は小学5年生の時に、兄貴がチャゲ&飛鳥のCDを買ってきて聴かせてくれまして。そこからはまりだしてカラオケでも歌うようになりました。僕にとってはチャゲ&飛鳥さんのハーモニーやメロディはすごく影響が大きいです。 僕の場合は『水の旅人 侍KIDS』や『モスラ』『河童』などの作品を手がけられている脚本家の末谷真澄さんが子どもの頃から知り合いで可愛がってもらっていました。彼の生き方から教えてもらったことが多いです。 |
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