宮平貴子 (みやひら たかこ)さん 1979年、沖縄県那覇市出身。クロード・ガニオン監督の『リバイバル・ブルース』(03)で撮影助手、『KAMATAKI-窯焚-』(05)で助監督をつとめる。2009年、ユリ・ヨシムラ・ガニオンプロデュースによる日本=カナダ合作『アンを探して』で長編監督デビュー。同作でアジアン・フェスティバル・オブ・ファースト・フィルムのグランプリと最優秀監督賞をW受賞する。2011年、沖縄に制作会社ククルビジョンを設立。映画『カラカラ』(12)ではプロデューサーをつとめ、第36回モントリオール世界映画祭コンペティション部門で観客賞と世界に開ける視点賞を受賞。 » 映画「カラカラ」の公式ページはこちら 映画監督や俳優さんには以前このインタビューコーナーでご紹介したことがあります。宮平さんの映画プロデューサーというお仕事はどういうことをなさるのか簡単にご紹介いただけますか。 映画『カラカラ』が初プロデュースの私ですが、ずっと映画を一緒に作ってきたガニオン組から教わったプロデューサーの大きな仕事は「監督のイメージを実現させること」であり、基本的にはいい作品を願う気持ちは監督と一緒です。また、映画は多額の資金が必要になりますから、ときには監督以上に作品の魅力を理解して発信し、例えば出資者や協賛スポンサーを説明・説得しなければいけません。撮影が終わり、作品が完成してからは、様々な映画祭に出品の手配を整えたり、配給会社と交渉したり……。監督以上に映画とつきあう期間も長いですね。 宮平さんは映画監督してもお仕事されていますよね。どちらの立場もできるのは映画を愛しているからということもあるでしょうけれど、器用な才能ですね。この作品のプロデュースに関わることになったきっかけは何でしたか? ガニオン監督とは長いつきあいですが、公私ともにパートナーであるユリ・ガニオンさんがプロデューサーを務め、ガニオン監督ご自身も製作総指揮として関わった、私の初監督作『アンを探して』(2009年)の沖縄でのキャンペーンで、ご夫妻が一緒に沖縄に長期滞在していました。ちょうど幼馴じみの親友を亡くすなどガニオン監督にとって今迄にない人生の節目が訪れていたときでもあって、そんなとき沖縄のエネルギーや空気にインスピレーションをもらったようです。初めて『カラカラ』の企画を聞いたときは、私以外に誰がプロデュースするんだ、という気持ちでした。そのあと、プロデューサーの仕事の大変さを身に染みて感じることになりましたが(笑)。 そういう経緯があったのですね。作品の登場人物がまさにガニオン監督が感じられていた心情を映し出す場面がありますね。この作品の一番の見どころは? 私は県出身ですが、この作品の魅力は「沖縄そのもの」を描いている点だと思っています。嬉しいのは、私だけでなく映画をみた地元の反応が「ほんとうの沖縄だった~」という声が多いことです。それは、ガニオン監督自身が行った緻密なリサーチによるロケ場所選びや、地元にこだわったキャスティングというだけでなく、空からの騒音、沖縄独特の緑の深さ、明るいだけではない「海」の存在感など、ある意味、誰も当たり前すぎて描こうとしてこなかった、『普通の沖縄の空気感・日常』がみえてくるからではないかと思います。そして、そこに人を元気にする沖縄のチカラがある、そういうことを感じていただければ幸いです。 どこかあたたかみのある、ふんわりした空気感というか…日本でありながら不思議な魅力をもつ沖縄のカラーが映像いっぱいに流れていますよね。ストーリーは思わずクスッとしたりホロリとしてしまう感情の機微が細かに描かれていると思います。沖縄が舞台になっていることと関係しているのでしょうか? ガニオン監督の作品はわりとシリアスな中にも笑いが出てくる作品が多いと思っていますが、確かに今回は確かにクスッが多いですね(笑)。ガニオン監督と同年代だけれども全く違う人間像であるピエールを、茶化しながら、楽しんで撮っているように感じます。今回、「大人の笑い」が随所にあり、海外の映画祭では大爆笑。日本でもどうぞ、シャイにならずガハハと笑ってほしいです(笑)。 |
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