今、中国思想研究の第一人者として教鞭を取られていますが、この道に進まれるきっかけの原点は小学生時代にありますか? はい。それから麻布中学へ進学してからは漢文の先生にとても影響を受けました。たまたま家が近所だったこともありまして夏休みやお正月にご自宅へ遊びに行きました。ちょうど中国への観光旅行が可能になり、「シルクロード」という番組も始まって、そうしたお話を聞いていました。それで私も中国っておもしろいなぁと思ったんですね。親から買ってもらった児童文学全集にはいっていた『三国志』にはまり、吉川英治のものも読み、それから論語関係にも幅を広げて、という感じですかね。 偶然にしてもそうしたつながりの中で中国のおもしろさに着目されて、第二外国語で当時まだ履修する人が少なかった中国語を勉強されて。幼い頃からかなりのお勉強家ですがクラブ活動は何かされていらしたんですか? 小学校も中学校も地歴部に所属していました。鉄道マニアの人が鉄道について詳しいのと同じで、歴史のことを調べるのが好きですから、勉強というよりも趣味なんです。調べるだけではなくて、架空の歴史を作って自分で書いたりしていました。『三国志』に影響受けて王朝の名前を漢字でつけて、地図も描いたりね。それと童話も書いていました。一人っ子だったので親がぬいぐるみをたくさん買ってくれていて、そのぬいぐるみ同士に会話をさせたり、『ドリトル先生物語』を真似て自作の童話を書いていました。子どもって何でも真似たがるものなんです。 真似るというのは論語リーダー塾の、耳から聞いて真似る呪文ともつながっています。 論語の出だしは「学びて時(とき)に之(これ)を習ふ、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。」これは学問をする楽しみとその心がまえについて述べたものですが、「学問をして(その学んだことを)常に反復練習する。(そうすると理解が深まって身についてくる)なんとうれしいことではないか。」という意味です。論語で言っているのは当たり前のこと。例えば「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」とは、「自分がいやだと思うようなことを人にしてはいけない。」という意味。別に孔子様にわざわざそんなことを言われなくても、人類にとってみればお爺ちゃんの智慧みたいなもの。それを孔子様が言っているという権威付けをして語り継がれています。本当は、論語のなかにはこうした当たり前でない内容のほうが多いんです。私は当たり前ではなくて説明が必要なほうをむしろ研究しています。そのままスッとわからないところにこそ論語の深い教えがあるんですよ。 こうして論語の世界をナビゲーションされますと意味を一つずつひも解いてみたくなりますね。では最後に子育て世代へ論語的メッセージをお願い致します。 「四海の内は皆兄弟たり」…という言葉があります。少子化ですし私自身も一人っ子ですので血縁関係だけでなく、地域や国や地球規模で皆が仲良く暮らすことを考えましょう。殺し合いで決着をつけるというのも選択肢の一つですが、お互いにwin-winの関係をめざすためにはケンカせずに仲良くするべきでしょう。他者の存在を認めて、他者との共存を図るのがだいじ。子どもたちに「日本は素晴らしい国なんだぞ」という意識を刷りこんで自信を持たせるだけではうまくいかないでしょう。隣国との違いを知ってどう立ちまわれば仲良くできるかという智慧を見出すことこそ、これからの時代を担う子どもたちには必要です。論語は、そういう視点を学べるものです。 ---ありがとうございました! <了> ●小島 毅さん 書籍情報
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