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核兵器のない平和の尊さを世界へ向けて発信する 広島平和記念資料館長 志賀賢治さん遺品や後遺症について伝える展示物。有料で音声ガイダンスもある。
「記憶の博物館」として伝え続けるために。遺品や後遺症について伝える展示物。有料で音声ガイダンスもある。

原爆投下後70年は草木が生えないと言われていた広島での復興は大変だったと思います。

私が幼少期だった昭和30年代は「人影の石」(寄贈/住友銀行広島支店)がまだバス停横にありました。広島平和記念資料館へ寄贈されたのは昭和40年代になってからです。高度経済成長期になるまで街の其処ここに原爆投下の爪跡が残っていました。どのくらいの人が亡くなったか正確な人数すら把握できていませんが、少なくとも7万人の名前のわからない方の遺骨を納めた納骨堂があります。きっと、今も、広島の土の中には、遺骨が眠っていることでしょう。

遺品は展示されている物と収蔵庫に所蔵されているものを合わせると膨大な数になるのでしょうね。

お預かりしている収蔵品は2万点余りあります。決して美しいといえるものではありません。数千度の凄まじい爆風、とてつもない放射線に爆された醜く、あの日の凄惨な記憶を留める資料や遺品たちばかりです。ご遺族もこうした遺品を複雑なお気持ちで当館へ託されますし、今も絶えることなく遺品が寄贈されます。当館の学芸員は、遺品を受け取る際、遺品にまつわる物語と遺族によって語られる生前の持ち主の記憶を伺い、記録に残しています。私たちがこれからも取り組みつづけることは、あの日に一体何が起きたのか、一つひとつ掘り起こし、再現していくこと。そして、伝え続けてゆくことです。それが「記憶の博物館」の役割だと考えています。

平和記念資料館の近隣には原爆ドームがありますが、あの建物も当時を物語る一つですね。爆心地からほど近い広島城は戦後復元されたとか。

原爆ドームは爆心直下にありましたので建物ほとんど飛ばされずに残りました。屋根は溶けてしまい、爆風に突き破られましたが、周りの壁は上からの力には耐えられたんですね。広島城は国宝でしたが、残念ながらほとんど原型を遺さない形で飛ばされ戦後復元をされました。原爆投下された直後の広島市内の模型も展示していますが、本当に何もかも無くなってしまった。アメリカ軍による当時の写真が残っていますが、彼らは広島を実験台として原爆投下をしましたから、克明にその後記録を残しています。そして原爆投下された翌月の9月に広島に猛烈な台風が上陸し、さらに1000人以上が亡くなりました。原爆で燃え残った街のすべてをかき消すように流しました。広島で台風というのは私が生きてきた60年を振り返ってもあまり経験ないので大変珍しいことでした。

現在でも被爆の後遺症に苦しまれている方もたくさんおられます。平和記念資料館では、今後どのような取り組みをされる予定ですか?

今後5年掛けて建物を改築します。ここは国の重要文化財に指定されています。上野の近代西洋美術館も重要文化財に指定されていますが、あれはフランスの有名な建築家が手がけていますが、こちらは丹下健三という日本の建築家です。60年前に建ったものですので耐震強度をもっていないのでそれを克服します。ところが重要文化財はオリジナルに手を加えてはいけないというルールがありますので試行錯誤しながら進めていきます。アナログの映像なども、デジタル技術を取り入れた見せ方に。また、ほとんどの方が東館で時間を費やされているので、その動線を変えるため展示物の見せ方を変える計画もしています。

国の重要文化財である本館の耐震工事に併せて、展示の全面的な更新を今後5年間で行う。取材時は「はだしのゲン」原画展を開催していた。

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