館内に展示されている被爆した親子のジオラマ人形撤去する是非について報道されています。撤去の真意とはどんなことですか? 検討委員会では「撤去する・しない」は議論の中心にはなっておらず、昔から「ジオラマ人形に被爆のイメージを頼ってはダメだ」という共通認識があります。ご覧いただくとおわかりになりますがジオラマ人形は、事実よりもずいぶん表現を緩和して作られています。被爆された方は服も溶け、あるいは飛ばされ裸でしたし、皮膚は酷い火傷でただれてしまい肉が溶けて骨も見えていたり、眼球も飛び出していたり、髪の毛など一瞬のうちに溶けて無くなった。今は、私たちはジオラマ人形と比較して「こんなものではなかった」と多くの被爆者から聞くことができ、自分の見た情報を修正することが出来ますが、いずれ実際に体験した被爆者もいなくなり、そのような修正すらできなくなる時代がやって来ます。と同時に、火傷一つせずに被爆した人も投下された12日後、血を吐きながら亡くなっている方もおられます。恐らく今きちんと伝えていかねばならないことは「放射線の被害」です。これは今でも続いていることですから。原爆による被害はさまざまな形であります。そうしたことをトータルで伝えないといけないと思っています。 展示の見せ方を変える一環で、ジオラマ人形撤去のお話しもあるわけですね。 恐怖感を伝えるだけでは心の奥底に響かないのです。人形が怖い…という印象だけ持ち帰られて、今も続いている被爆の事実が伝えきれていない。東館の展示物は文字要素も多く読んでいるうちに時間が過ぎて、所要時間は約50分。私たちが伝えたい被爆者の遺品展示には約10分。その時間配分を変え、先に遺品展示をご覧になってもらえる工夫をしようと考えています。この資料館の使命は、被爆の実相を伝えること。被爆者の平均年齢は78歳です。あと5年間のうちに被爆の実体験者はもっと減るでしょう。そうなると、私たちの博物館が記憶を伝える唯一のよりどころになります。生の声がなくなる分だけ、正確に伝えていくこと。50年後も100年後も、通用する展示にしなければと思います。年間130万人もの方が訪れる当館は、海外からのお客様も多いので多言語化も進めます。 これから育つ子どもたちへの願いをお聞かせ頂けますか。 想像力を発揮してほしい。例えば、カメラマンの石内都さんが被爆して亡くなった方の紫色のワンピースを撮る時も、ファインダー越しに写すのは物そのものだけではなくてもっと深い意味で想像力が働いていると思います。自分と同じくらいの年齢の子が惨い亡くなり方をしていることを我がこととして受けとめられるか。リンダ・ホーグランド監督『ひろしま~石内都・遺されたものたち』や、詩人のアーサー・ビナード作『さがしています』などの作品からも読みとれますが、一人ひとりの死者の嘆きに耳を傾け、死者と対話をしてほしい。被爆を固定化してイメージされたくないのです。共感する力を身につけてほしいと願っています。 最後に、新たな広島の一面を伝えるアート作品について、館長さんのお考えをお話しください。 物事を伝え続けてゆく方法は大きく分けると2つあります。ひとつは科学。博物館が担っているのは科学の分野ですので、今いろいろな専門分野、医学、物理学、政治学、歴史学などの専門家を集めて展示の見直し作業を始めたところです。そうすることで正確に、かつ詳しく伝えようとしています。そして、もう一つは芸術。遺品の持ち主たちの美しかった『生』を共有することに最も力を注いでいるように思います。これまでも多くのアーティストが作品を通して被爆を伝えてこられました。でも、戦後68年目にして新たな視点をもつアーティストが登場したことはうれしいですし、これからできるだけそうした手法もバックアップしていきたいと思っています。私たちはあの日に何があったかを伝えつつ、希望を語っていきたいのです。 ---ありがとうございました! <了> ●参考情報
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