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新国立劇場バレエ団の新プリンシパル 米沢唯さんバレエは3歳から始め、楽しくて仕方なかった。
渡米後の挫折と葛藤、そして父の死。バレエは3歳から始め、楽しくて仕方なかった。

小学校に上がってからは放課後ほとんどバレエのレッスンでしたか?

習い事をたくさんしていました。バレエはもちろんですが、長唄や三味線は中学生まで、ピアノは高校生まで続けていました。家に帰ると疲れて眠ってしまうので、学校の勉強は休み時間に集中してやっていたので学校のお友達が少なくて(笑)。バレエのお友達が一番多かったです。家にいないため反抗している時間もなくて、反抗期はありませんでした。

たくさんの習い事から素直にいいものを吸収されたのですね。中でもバレエが一番好きでした?

高校生くらいになって、私が私自身として生きられる場は、やはりバレエだと気づきました。父も母も私のことをとても大切に育ててくれて、私中心に生活が回っている…という感じでしたが、子どもにとってそれはどこか重荷で。そこから唯一解放される場がバレエでした。自分の頭で考えて、両親の助けは得られない。舞台に立てば自分で踊るしかなかった。父も母もまっすぐな人でしたから、両親とは本音で話せる関係でした。
高校を卒業して大学へ進みましたが2年生の時、アメリカのバレエ団へ入団することになりました。私はずっと海外で踊りたい思いはありましたが、どうやったら海外のバレエ団へ行けるか何のマニュアルもコネクションもなくて。ひたすら国際コンクールに出続けていれば、どこかで誰かが見つけてくれる!と信じていたんですね。そうしたら「きみのことが気にいったからアメリカに来ないか」とあるディレクターの方にスカウトされ、その夢が実現したのです。

素晴らしい!それは運が良いだけではなく、明確な夢を描き続けてきたからこそ叶えられたのですね。

今振り返ってみると身ひとつでアメリカへ旅立って、思いがけないことばかり。両親が付きっきりで面倒を見てくれていたことが海外に渡ってみてよくわかりました。バレエしかやってきてないから何もできなくて。お金の計算もしたことがなく、ご飯ですら自分の食べる量がどれだけかわからないから作るのも一苦労。言葉の壁は踊っていれば何とかなりましたが、日常生活を営むのが大変な状態で4年間のアメリカ生活は苦しい毎日でした。バレエ半分、日常生活半分の暮らしは人生初でしたからアンバランスになりました。

100%バレエ生活のために海外留学しているにも関わらず、現実的にはそうではなくて。それはいつ頃解消できたのですか?

結局アメリカの4年間ずっと解消できませんでした。日本へ帰国して新国立劇場バレエ団のオーディションを受けて、合格してから自分を取り戻しました。環境を変えていいこともあります。そのきっかけになったのは4年前の父の死。自分が何者にもなっていないのに父が死ぬはずはないと思っていたら逝ってしまいました。幼い頃から父はとても私をかわいがってくれて、イクメンの走りだったと思います。もらえるものは全部もらい、話さなければならないことは全部話したので、ああすればよかった…という後悔の念がなくてむしろ満足感すらあります。悲しかったけれど泣きませんでした。

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