米沢 唯 (よねざわ ゆい)さん 愛知県出身。塚本洋子バレエスタジオで学ぶ。国内国外の数多くのコンクールに入賞し、2006年に渡米、サンノゼバレエ団に入団した。主な受賞歴は、2004年こうべ全国洋舞コンクールクラシックバレエ部門ジュニアの部第1位、全国舞踊コンクールジュニアの部第1位、ヴァルナ国際バレエコンクールジュニアの部第1位、05年世界バレエ&モダンダンスコンクール第3位、06年USAジャクソン国際バレエコンクールシニアの部第3位など。2010年に契約ソリストとして新国立劇場バレエ団に入団した。2013年よりプリンシパルに昇格。 米沢さんがバレエを習うことになったきっかけとは何でしたか? 音楽が好きで、それに合わせて踊りだすのを母がみて「この子は踊りが向いているかもしれない」と。日本舞踊でもダンスでもなんでもよかったと思いますが、たまたま母がバレエ団の新聞記事を見たのがきっかけで、3歳から塚本洋子バレエスタジオへ通うように。入団するにあたって両親が先生に会いに行きました。小さかったので先生との相性を見たかったのでしょう。クラスにぽんと入れられて、わけもわからず。1階がスタジオで2階から母がいつも見学していて、「やっぱりこの子は向いてないかも。でも楽しそうだからやるだけやらせてみよう」と思ったそうです。 3歳でどうやってレッスンをしたのですか?送迎も親御さんがされていたのですよね? 母がメインでしたが父もたまに。バスに乗って通っていました。小さな頃は母が怖い存在(笑)。2階から1階のスタジオを観て、小さな私がバーにつかまってブランブラン遊んでいたり、先生のお話しをアクビして聞いてない様子だったりするのが、もどかしかったようで「ちゃんとしなさい!」とよく叱られました。でもスキップとか、音楽に合わせて体を動かすのが楽しくてイキイキしていたんですね。それが今なおずっと続いているような(笑)。 好きを大事にした土台があるのですね。指導者の先生はどんなレッスンを? 3歳で教室に入って、半年後には最年少で専科クラスも受講するようになりました。それは私をずっと可愛がってくださっている塚本先生が「あの子、楽しそうに踊っているからやらせてみよう」と言ってくださったんですね。4歳前後でプレッシャーなどあるわけもなく、何が何だかよくわからないまま、お姉さんたちのクラスで一緒にレッスンをしていました。先生はとてもユニークなレッスンをされる方で、テクニックよりも感性を磨くレッスンでした。例えば、体の中心をわからせるためにおへそにバッテンマークをつけさせたり、ジャンプの練習をするためにゴム飛びをとりいれたり、大切なものを手渡すために折り紙を折ってそれを人に渡す練習とか……。 演劇と共通していますね。バレエは「アン・ドウ・トロワ!」の練習だけでないのですね! ひとつの唄をずっと歌う練習ではなく、イキイキと歌うためにどうすればいいか?ということを先生からは教わりました。私は塚本先生から叱られた記憶が無いんです。生徒の気持ちをのせるのがとても上手で、何かできない時は「あなた一緒にやってみて」と生徒同士競争をさせました。そうすると自ずと、できなかったことができるようになる。二回転しかまわらなかったのが三回転できるようになったり。バレエが大好きで、辞めたいと思ったのは大人になって挫折した時だけ。幼少期は楽しかったので全然ありませんでした。 |
|