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自律神経を整える「あきらめる」健康法を説く医学博士 小林弘幸さん中学は野球部、高校と大学ではラグビー部のバックスで活躍した。
野球とラグビーで得た人とのつながり。中学は野球部、高校と大学ではラグビー部のバックスで活躍した。

小林先生は元からそういう姿勢でいらしたのですか?それとも何かきっかけがあって「あきらめる」ことのできる心持ちになられたのですか?

僕の基本はスポーツにあります。野球とラグビーを通して身を立ててきた。今は体罰禁止と言いますが、僕らの頃は殴られっぱなしでした。そういうのが重要で鍛え上げて苦労しないとダメだと思います。少なくとも僕は痛い思いをしないと目が覚めない。中学時代は校内暴力の盛んな時代でした。

ご両親が小学校の先生をされていらした関係で、とても厳格なご家庭でお育ちになられたとか?

父が特に厳しくて何でも一番で当たり前という考え方でしたから、勉強や運動会で1番取っても、描いた絵で賞を取っても、お祝いしてくれたり褒めてくれたりはしませんでしたね。僕は一人っ子で両親は遅くまで仕事から帰りませんでした。小学生時代は100円玉2つテーブルに置いてあって、それを掴んでコロッケを買いに行きました。小学1年生からそんな感じでしたから、外へ出て遊びに行くと相手をしてくれるのは5年生や6年生のお兄さんたち。そこで野球を一緒にしたおかげで野球がうまくなりました。僕は子どもの頃から、かなり大人でした。

早く自立しますね。当時、習い事はどんなことをされていましたか?

ピアノ、英語、習字、珠算、フルート…一通り、親の意向で行かされていました。でも家の近所に全部教室があったので遊びに行っているようなもの。その中で役に立ったのはピアノくらいで、3歳から中学2年生頃まで続けていました。それと珠算をやっていたので、小学5年生時には東京都の暗算大会で優勝。何千人も参加者のいる中で最後まで勝ち進んでしまった。

たくさん習い事をされていてかなり毎日忙しい小学生でしたね。その頃は将来何になりたいと思われていたのですか?

プロ野球選手になりたい、と思っていました。高校は県立浦和高校へ進学しましたが、身長が足りなくてプロ目指すのを断念。ラグビー部に転向しました。医者を目指した要因の一つは、高校3年生の時に、母をすい臓がんで亡くして感覚が変わったんです。元々、医学に興味があったのですが身内の死によって、考えもしないようなことが起きるんだと気づかせてくれました。何のためにやってきたことなのか?とこれまでを振り返り、やる気もなくなってしまいました。僕にとって18,19,20歳はブラック・ボックス、生きていた感覚がしない。でも、そういう経験があるからこそ今の仕事にいきているのだと思いますね。

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