さきほどブラック・ボックスという体験が今にいきているというお話しでしたが、お母様の死の他にも何か大きな転機があったのですか? 浪人後、順天堂大学医学部へ進学しラグビー部へ入部。そこがめちゃくちゃ厳しいチームでした。僕は医学部6年生の時に足を複雑骨折してしまいICUへ運ばれるほどの大怪我で、医者には「一生歩けるようにならない」と言われ途方に暮れていたところ、2人部屋の相棒として同じ歳くらいの男性が同室になった。日焼けして元気そうなのによくよく聞けば骨肉腫という病気で、手術をしてから2カ月後には亡くなってしまいました。一人の元気な人間が死に至るまでを毎日共にできたこの闘病生活は大きな体験でした。彼がいたから、僕も入院生活を乗り越えられました。歩けないと言われた足も3年掛かって歩けるようになりました。 20代前半で身近な人の死を2度も体験されていたのですね。それはお辛かったことでしょう。 自分が不幸になると人生で最悪なことが起きた…と思ってしまいますが、その答えが出るのは30年後、40年後にあります。その場で結果が出るわけではない。悪いことでも悪いままでいかないのです。そして、その闘病生活で得られたことに、医師の所見はいろいろあることを知ったこと。僕の足のレントゲンを見て、「全然くっついてない」と診察する医師と、「ほら、このヒゲみたいなのがあるのは望みがある」と言ってくれる医師…どちらもいました。もし怪我をしていなかったら、患者さんへの伝え方もわからない医者になっていたかもしれません。 小林先生は海外の病院で勤務されていたようですが、日本との違いはどんな点でしたか? イギリスのアイルランド国立小児病院外科で、日本人で働いたのは僕が最初で最後でした。試験はもちろんありますがそれだけではなくて、アイルランドの厚生労働省に順天堂大学が認められないといけないのと、僕はロンドン大学付属英国王立小児病院外科での経験がありましたので。アイルランドの上司や仲間は皆がジェントルマンでした。「患者に必要なのはエンカレッジ(勇気づけること)だ」と常に言い続けていましたね。そのマインドが後々、日本へ戻って来てからとても影響を受けました。 では最後に、医師を目指す人へ何かアドバイスをお願いできますか。 自分が医者に向いているかどうかの見極めが重要です。医者でなくても素晴らしい職業は他にもあります。会話が得意であれば臨床医、科学を極めたいなら研究医。医者は一人ではやっていけない仕事です。ですから、チームや団体やサークル活動などを通じて、いろいろな人の物事の捉え方、考え方を知ってほしい。具体的な勉強は、英語を話せるようにしたり、本をたくさん読むこと。そして世界の歴史、宗教、文化を勉強し直すことです。海外ではその国の背景を知らないと仕事は難しいです。日本人はその点が弱いですから。 ---ありがとうございました! <了> ●小林 弘幸さん書籍紹介
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