16歳まで小松亮太さんに師事されてから後、家族と離れて海外留学をされて。音楽のための時間だけでなく、生活もしないとならないしどうされていたんですか? 2006年にバンドネオン界の最高峰というネストル・マルコーニ氏と出会って、本場を見てみたいと思うようになってアルゼンチンへ行くことにしました。16歳の時、自作CDを制作して、その売り上げで渡航費用を捻出してアルゼンチンに渡りました。今でも師とはバンドネオンを通じて交流があります。生活は誰も頼る人がいないと、あきらめるようになります。お腹すけば食事を作らないとならないし、着る服が無ければ洗濯しないとならないし、トラブルが発生すれば一日丸つぶれ。アルゼンチンはラテン系ですから基本的に楽天的で適当です。そういうことにも、あきらめがついた(笑)。 10代のほぼすべてをバンドネオンに捧げてこられて、その間に反抗期はありませんでしたか? ありましたよ!自分がわからなくなってきて…。商店街の小さなステージで30分ゲスト出演したりチョクチョクやっていた結構忙しい中学生時代。自分は学生なのか?セミプロなのか?ちょっとうまいアマチュアなのか?…自分の立場は一体何なのか?肩書きは何だろう?と、そういうのをハッキリさせたくなってきた。それで16歳の時に「プロデビューコンサート」と名付けて地元と東京の2か所で開催しました。曲目も、メンバーも、自分で全部考えてセルフプロデュース。各関係者の方にも招待状を書いて発送。そういう発信によってプロと位置付けることができた。それから不思議なほど、いろんなご縁に恵まれるようになりました。 ピアニストのご両親は今の一馬さんの活躍ぶりをとっても喜んでいらっしゃるのでは? 両親はいつも応援してくれています。僕が10歳でハンドネオンをやりたい!と言った時も、実は反対されるかな?と思ったのですが「ああ、いいんじゃない?やってみれば?」とすごく賛成してくれました。但し、両親もバンドネオンという楽器のことを知らなかった(笑)。後にその時のことを両親に聞くと「どうせすぐやめるだろうと思ったのに、思いのほか続けたからビックリした」…と言われました。僕の場合、本番の一つひとつが学校のようなものです。うまくいった時も、ダメだった時も、そこから学ぶ。練習しなくてはならないからやるのではなく、本番の恐怖がわかるから練習しなくちゃと思える。すごく幸せです。 では最後に子どもを育てる親へのメッセージと共に、これからの演奏活動へ賭ける思いをお願い致します。 何か好きで取り組んでいるものには、その人の人生観やキャラクターまで変えてしまう力があります。僕はこの複雑怪奇で魅力的なバンドネオンに出会って、人見知りで消極的な性格が180度変わりました。子どもの頃、僕は自転車が好きで知らない場所はないくらい町中乗りまわしていた。もし言えるとしたら、傍にいる大人は、そういう子どもの冒険心とか興味のアンテナを拡げてほしいなと思います。 ---ありがとうございました! <了> ●三浦 一馬さん活動情報
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