三浦 一馬(みうら かずま)さん 1990年、東京都生まれ。タンゴのみならず他ジャンルの楽曲を編曲し演奏するなど、これまでのバンドネオンの概念にとらわれない意欲的な取り組で、新たなるバンドネオンの可能性を追求する真摯かつ精力的な活動をする気鋭のバンドネオン奏者。現在、バンドネオン最高峰と名高いネストル・マルコーニ氏に師事。これまでにビクターエンタテインメント(株)より3枚のアルバムをリリース。いずれもレコード芸術誌において特選版に選ばれるなど高い評価を得ている。 » 三浦一馬さん 公式サイトはこちら バンドネオンという楽器と10歳の時に衝撃的出会いをされたそうですが、一馬さんはご両親がピアニストでいらして音楽の環境が生まれながらに備わっていらしたから目覚めが早かった? 僕は両親がピアニストとして演奏活動をする一方、子どもたちにレッスンをするピアノ教室もやっている音楽一家で育ちました。ピアノやバイオリンやギターなどが家にあって小さな頃からそれを弾いて遊んでいました。両親から「これをやりなさい」と強要されることがまったくなかった。音楽は好きで得意でしたが、10歳でバンドネオンと出会うまで一度も真剣に楽器を演奏したことがありませんでした。ある時、父の仕事の関係で一家でイタリアに住むことになったのが、僕にとっての原体験です。 イタリアに住んでいた頃は、どんな毎日を過ごされていましたか。 6歳から8歳頃まで2年間ほど、フィレンツェに住んでいました。町の子が通う現地校へ入学し、言葉や文化は違えど友達はいましたし、イタリア語はその頃覚えました。いきなり異国へ移住してすごく苦労した記憶はなく自然に馴染めた。フィレンツェって美術とか音楽とか芸術が溢れている街自体が美術館のような環境ですが、当時は細かな知識など何もなく、17世紀の石畳を自転車で走り回っていた。今思うと構えずにありのままを楽しめたその頃って、すごく幸せな体験でした。この2年間は僕の感性のベースとなる部分はその時期に培われました。世界にはいろんなことがあると感覚的に知ったのも大きかった。 その年頃は一番脳が柔らかくて感受性も豊かですよね。日本に戻られてから、バンドネオンと出会ったのですよね? そうです。日本に戻ってしばらくしてから、たまたま「N響アワー」という番組のバンドネオン特集をテレビで観て、タンゴ音楽を聴いたのがきっかけです。もう見た瞬間「あ、これをやりたい!これしかない!」と強く思いました。音も形もすべてカッコいい!アコーデオンとも違うこの楽器なんだろう?…とオトナな世界を垣間見たようなそんな気分でした。 とはいえ、ピアノでもなくバイオリンでもない、バンドネオンの魅力ってどんな点にありましたか? 僕はもともと機械好き。小さなドライバーを使って解体して機械の仕組みを知りたくなっちゃう。バンドネオンは機械好き心をくすぐる形をしていたものですから(笑)、左右がボタンで右38個、左33個真ん中はジャバラ。鍵盤だったらドレミファソ…の規則性が明確ですが、バンドネオンのボタンは左右並びが不規則。音色もジャバラを押した時と引いた時でいろいろ奏でる。タンゴで演奏するのでアルゼンチンの楽器と思われがちですが、これはドイツで教会のパイプオルガンの携帯式として発明されたものだそうです。
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